BECKY





「止めろっつってるだろ」


東京某所高級マンションの一室、更にその奥にあるベッドルームで地響きのように低く聞こえてきた声はうちのバンドのドラマーで、キレるめちゃめちゃ怖い男。 しかもキレると物に当たり散らすクセがあるので、危険防止のために手首はベルトで纏めてベッドヘッドに引っ掛けておいた。


「怒んないでよユッキー。誰もが通る道やって」

「……普通はしないよ、女装なんて。いい加減にしないと怒るよケンちゃん」


俺はユッキーの腹の上に跨がって座り、すでに怒りで燃え上がっている目を見下ろす。
右手には真っ赤な口紅を持って。


「口紅だけだから。真っ赤で綺麗やん。俺らなんて当時は紫のヤツだったんやで〜」


そう言って昔を思い出して話すと、ユッキーは一瞬目を見開き、今まで以上に険しい顔つきになった。


「色なんか関係ねぇよ。つけたきゃ自分でやればいいでしょ」

「だーめ。ユッキーのが見たいの。絶対キレイやで」


体を捻らせ足をバタつかせるユッキーを完全無視して、自分の人差し指にベッタリと口紅を塗りたくり暴れていた男の顎を掴む。その途端ギシギシと悲鳴をあげていたベッドは静かになり、悲鳴あげさせていた本人も静かになった。


「あれ?諦めたん?」

「………覚えてろよ…」


静かに言い放った言葉は最近聞いた中で最も低かった気がする。 あまりにも俺がいきいきとしているもんだからユッキーも抵抗する気失せたんかな。なんだかんだで甘いからな、ユッキーは。 そんなことを思いながら口紅の付いた指先を唇に近付けてゆく。


「噛まんといてな。噛んだら同じことするで」

「……ガキかよ」


飽きれたように呟き、瞬きもせずに見つめてくる視線を痛い程感じながら、俺はユッキーの下唇に赤をひいた。その間も決して見つめてくる視線は俺から逸れない。


「そんなに見ぃひんといて。恥ずかしいやん」

「俺のが恥ずかしいよ」

「………」


その時俺は、ユッキーの言葉に返事をすることも忘れて、ただただ真っ赤な下唇に魅入っていた。



ちょー綺麗。



今すぐに食いついてしまいたい衝動を押さえ、上唇にも同じことをしようとしたその時。ユッキーは口紅よりかはピンクな舌でペロリと俺の指先、否、指先に付いた口紅を舐めた。


「!?」


驚いて動きを止める俺の指先を、ユッキーはそのまま舐め続ける。ピチャピチャという音だけが妙に耳に響き、口紅はチロチロと覗く舌に次第に取り除かれ、やがて全てなくなってしまった。


「ちょー不味いね、口紅って。」


そんな拍子抜けな台詞に、やっと自分を取り戻してもすでに時は遅くて。


「あぁ〜!なんで全部舐めてまうの?!まだ上唇が…。また付け直さな「ケンちゃん」


言葉を遮られて見下ろすと、下だけ赤い唇をゆっくりと舐めてみせ、妖しく微笑む顔、そして呟く言葉。
ねぇケンちゃん、


「それより抱いてよ」





そこからはハッキリ言って記憶が曖昧で。いつユッキーの腕を解いたかも覚えてない。








「あれ、ケンちゃん、シャツに何かついとるで」

「ん?………あぁ」


これって口紅?やらしいなぁ、ケンちゃんは。とニヤニヤ見てくるテツを軽く受け流し、なんとかあの後のことを思い出していた。 結局、煽られ逆らなかった体は、本能のままに相手を貪ってしまい、次の朝にはユッキーに電話機で殴られた。

口紅、塗りたかったなぁ…。


いつまでたっても敵わない相手を頭に浮かべながら、次はどんな作戦でいこうかと真剣に思考を巡らせることを、未だにベッドで深い眠りついているユキヒロが知るよしもなかった。


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